東日本大震災から七年

こんばんは。

今日、3月10日は奥さんの誕生日なんです。

先ほどまで青森市内の飲み屋で、

夫婦でおいしい料理を食べて誕生日を祝っておりました。

 

2軒行ったのですが、どちらのお店もほぼ満員でした。

 

店内からは、お客さんの歓声が聞こえたりする、

よくある週末の光景なのですが、

7年前の3月11日には、

ここまでの状態に戻るとは想像もしていませんでした。

 

当時、私は青森県八戸市に勤務していました。

今、何かとニュースで話題の伊調馨さんの出身地です。

イカやサバの漁港としてだけではなく、

造船や鉄鋼、製紙工場など工業地帯としても有名です。

 

震災は何の前触れもなく突然やってきました。

 

同僚と車で移動中、突然の揺れを感じました。

最初は疲れているのかなと思ったのですが、

信号の凄い揺れ方や、

道路に何人かの人が建物から逃げるように出てくるのを目にして、

初めて、ことの重大さに気づきました。

 

その後は同じような揺れが何度も続き、

テレビから流れる緊急地震速報津波の予想高さが

数十メートルと聞いて、

凄いことになってしまったと。

 

そこからの記憶は今でも鮮明に覚えています。

 

会社のフロアが停電して物で散乱していたこと。

 

普段は穏やかな川が、黒い海水が逆流していて

街が飲み込まれてしまうと感じたこと。

 

街が夜でも真っ暗で、家に帰っても停電していて寒くて、

ただひたすら毛布にくるまって寝たこと。

 

避難所で見たNHKのニュースの映像で

津波が家や人、街を飲み込んで行く様子が何度も流れ、

もう日本が終わってしまったと思ったこと。

 

震災翌日の漁港周辺が、大型の漁船が何隻も陸に上がっていたこと。

 

車を津波で流された人が会社に避難していて、

何とか助かったと憔悴した様子で話していたこと。

 

港近くの道路がコンテナや車でふさがれていたこと。

 

次々とくる余震に体が反応してしまうこと。

 

ガソリンを入れるのに何時間も並んだのに、数量制限があったこと。

 

コンビニに、ほとんど物が無くなっていたこと。

 

中学、高校、大学と同じだった同級生が津波に流され亡くなってしまったこと。

 

あの日から七年が経つんですよね。

早いものですね。

 

もう震災があったことすら忘れようとしている自分や社会。

 

それは復興したとも言えるのだろうけど……

 

明日は、これまでの七年を思い出して、

震災について考える日にしたいと思う。

 

おやすみなさい。