青森の有名食堂が次々に閉店

食堂、とりわけ大衆食堂が大好きなミスターイッチーです。

このブログでも何度か、わたしのお気に入りの青森の食堂を紹介してきましたが…

 

ここで悲しいお知らせです。

 

わたしのブログでも紹介した八戸市の宝来食堂、青森市の樽幸。

さらに、ブログでは紹介しませんでしたが、三沢基地のすぐ近くにある木村食堂が閉店してしまったらしいのです。

 

先日、青森の職場の同僚が教えてくれました。

 

食堂好きのわたしにとって、それは本当に悲しいニュース。

 

青森から岩手に転勤して、まだ1年しか経っていないというのに、有名食堂が次々に閉店するなんて‼️

 

これらのお店は、多くの人に愛されていたからでしょう。宝来食堂の閉店は地元の新聞で大きく取り上げられ、樽幸と木村食堂はテレビの特集で取り上げられたほど。

 

それだけ、青森の人にとっては食堂は欠かせないものなんですね。

 

下記の記事は、デーリー東北新聞が宝来食堂の閉店を伝えたものです。

 

宝来食堂(八戸)が閉店 惜しむ常連客/半世紀の歴史、変わらぬ低価格で人気
2020/11/11 
 
閉店を伝えるメッセージが張り出された「宝来食堂」。50年の歴史に幕を閉じた
中華そば200円、カレーライス300円―。1970(昭和45)年の創業から値上げせず、変わらぬ価格で常連客のおなかを満たしてきた、八戸市廿六日町の「宝来食堂」が9日、閉店した。店主板橋光子さん(78)が高齢のため。近隣住民のみならず、多くの学生や会社員も足しげく通った“庶民派食堂”が、半世紀の歴史に幕を下ろした。

 宝来食堂は、同市鳥屋部町にあった店舗を、軽米町出身の板橋さんが引き継ぎ、83(昭和58)年に廿六日町に移転。透き通った黄金色のスープの中華そばや、昔ながらのカレーライスが看板メニューで、お昼時には店内が連日満員になるほどの人気店だった。

 板橋さんの四女で、4年ほど前まで店を手伝っていた渡邉たみ子さん(40)によると、店は2日まで営業していたが、板橋さんの体調が思わしくなく、9日に閉店する旨の張り紙を入り口に掲示した。

 渡邉さんは「母がスープを作る鍋を持ち上げられなくなってしまった。急なことで、お客さんにあいさつできなかったことが心残り」と話す。

 近くの印刷会社に勤める細越達也さん(51)と下舘秀寿さん(51)は、ほぼ毎日のように食堂に通った常連。下舘さんは「9月後半から休みの日が増えて心配していた。いきなり閉店はさみしい」、細越さんは「前もって教えてくれれば、感謝の気持ちも伝えられたのに…」と寂しげだ。

 細越さんは高校卒業後、同社に就職して以来、31年間お世話になった店主に向けて「いつも350円の定食でおなかいっぱいにさせてくれた上、カレールーとみそ汁はお代わりし放題だった。私の体は宝来食堂でできています」と感謝した。

 

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わたしも八戸に住んでいたときは、何度となくお世話になりました。今でも時々、無性に宝来食堂の中華そばとカレーライスが食べたくなるんですが、それはもう叶わないんですね。

 

今回、閉店した三軒のお店はいずれも店主の高齢化が閉店の要因らしいのですが、誰か後を継いでくれる人がいてくれたらいいのにと思うのは、いちファンとしての勝手な思い。

 

いずれにしても、宝来食堂と樽幸さんには本当に感謝の言葉しかありません。美味しいものを安く腹一杯食べさせてもらいました。

 

青森の生活が楽しかったのは、いい食堂に出会えたことも影響していたと今になって思います。

 

たぶん、わたし以外の食堂ファンのひとたちも思いはいっしょだと思います。

 

お店のみなさん、本当に長いあいだ、お疲れさまでした。